大谷翔平の背番号が17番にこだわる理由とは?5月17日が「大谷翔平の日」に制定!

大谷翔平 背番号17番

ロサンゼルス市は大谷翔平選手がロサンゼルス・ドジャースに在籍している間は毎年5月17日を「大谷翔平の日」と制定しました。

17日は背番号の「17」番にちなんでというのは分かりますが、なぜ5月になったのでしょうか?

また大谷翔平選手がロサンゼルス・ドジャーズに移籍した時、「17」番はジョー・ケリー選手が着けていましたが譲ってもらいました。

大谷翔平選手は「エース」という言葉を大切にしており、高校時代に飼っていた愛犬の名前や自身が設立した会社にも「エース」の言葉を入れており、背番号ではエース番号の「1」番や「18」番ではなく「17」番にこだわるのはどうしてでしょうか?

この記事では大谷選手の背番号「17」番にまつわる話や、5月17日が「大谷翔平の日」に制定された理由や経緯について詳しく解説していきたいと思います。

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「大谷翔平の日」が5月17日になった理由は?

 

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ドジャースの本拠地があるロサンゼルス市では、毎年5月17日を「SHOHEI OHTANI DAY(大谷翔平の日)」に制定しました。

「大谷翔平の日」が5月17日になった理由は、5月がアメリカでは政府がアジアやハワイ、太平洋の島々にルーツを持つアメリカ人の歴史や文化、功績を称える月間となっており、大谷翔平選手の背番号「17」番と合わせて、毎年5月17日となりました。

ドジャースの選手ではこれまでにメキシコ出身のフェルナンド・バエンズエラ元投手も同様に表彰されたことがあるようです。

大谷翔平選手の故郷「奥州市」では毎月17日は「大谷選手応援デー」を開催

大谷選手応援デー画像引用元:TBS NEWS DIG

大谷翔平選手の故郷「奥州市」ではロサンゼルスで制定された「大谷翔平の日」よりも早くから、毎月17日を「大谷デー」として街を挙げて応援する日としています。

毎月17日には奥州市役所の職員や市長、市議議員、また地元の信用金庫や企業の従業員がユニフォームやMLB公式のTシャツを着て仕事をしています。

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大谷翔平選手が「17」番にこだわる理由は?

大谷翔平選手はエンゼルス時代から背番号「17」番を背負っていますが、日本ハムファイターズ時代は「11」番を背負っていました。

MLBに移籍した時、エンゼルスでは背番号「11」番は永久欠番になっていたために「17」番を選んだと言われています。

大谷翔平選手自身もインタビューで背番号「17」番に対して深い意味はないと答えていましたが、「17」番に対する思いについて少し深堀りしてみたいと思います。

花巻東高校で背負った「17」番であること

大谷翔平画像引用元:日刊スポーツ

大谷翔平選手は花巻東高校の1年生の時に背番号「17」番を背負っていました。

高校生のエースナンバーは「1」番ですから、二桁の番号を付けることは特に違和感はないと思いますが、花巻東高校で「17」番という背番号は出世番号として与えられます。

花巻東高校の佐々木洋監督は「背番号17番は将来エースにと期待する選手につけさせている」と答えいています。

OBの菊池雄星(マリナーズ)が1年生のときにつけて以来、花巻東ではエース候補の1年生投手がつける伝統になっている。

引用:朝日新聞

エンゼルスに入団した際に「11」番が永久欠番だったことで、初心に戻るという意味もあり「17」番を選んだのかもしれませんね。

大谷翔平選手も「僕が新たな気持ちで、ここで頑張っていくときに、17番にしようかなと思った」とインタビューで答えています。

「花巻東野球部にとっての出世番号が17番なんです。当然、大谷が1年生で入部したときにもこの背番号になった。大谷にとっては特別な番号なはずです」(MLB担当記者)

引用:Asagei+plus

エンゼルス時代の背番号だったから

エンゼルスで「11」番が永久欠番だったことは前述した通りですが、次の候補は「27」番だったそうです。

「27」番といえばエンゼルスではマイク・トラウト選手が背負っていた番号でしたので、「17」番が空いていたために選んだと言われています。

日本では「17」番や「18」番といった背番号はエース級の番号として認知されていますが、MLBでは特別な意味を持った背番号ではありません。

しかし、大谷翔平選手がエンゼルスで「17」番を背負い、二刀流の活躍で新人王、MVP2回(初の2回満票獲得)、日本人・アジア人初のホームラン王など数々の記録を残し、“大谷翔平=17番”と世界中で認識された事もあり、ロサンゼルス・ドジャースでも「17」番を背負うことになったと思います。

ジョー・ケリー選手が譲ってくれたから

ジョー・ケリー画像引用元:full-Count

ドジャースで「17」番を背負っていたのはジョー・ケリー選手でした。

大谷翔平選手がドジャースに入団が決定した際、ケリー選手は自分が着けていた「17」番を返上することを決断しました。

ケリー選手にとって「17」番は大学時代から背負ってきた大切な番号であったにも関わらず大谷翔平選手に譲る事にしたのです。

大谷翔平選手が背番号を譲ってもらったお礼にポルシェをプレゼントしたことは大きな話題になりましたね。

沢村栄治も背負った「17」番

沢村栄治画像引用元:Wikipedia

沢村栄治といえば「14」番のイメージの方が強いと思いますが、沢村栄治さんが最初に着けた背番号は「17」番だったのです。

伝説のピッチャーである沢村栄治さんが最初に背負った背番号という事で、日本では「17」番をエース級のピッチャーが背負っているようですね。

ちなみに沢村栄治さんが「17」番を付けた1年目の成績は23試合に登板し22勝1敗だったそうです。すごいですね!!

大谷翔平選手の母校、花巻東高校でも将来エース級の選手に「17」番を与えるようですが、沢村栄治さんのような選手に育ってほしいという期待が込められているのかもしれませんね。

過去、花巻東高校で「17」番を背負った有名な選手としては、菊池雄星選手、大谷翔平選手、佐々木麟太郎選手、そして今年の大型新人で父親が元巨人軍の古城茂幸の古城大翔選手です。

大谷翔平選手の「17」にまつわるエピソード

大谷翔平選手が背番号「17」番にこだわる理由とは別に、「17」という数字は偶然にも大谷翔平選手に深く関わっている数字となっています。

  • ロサンゼルス・エンゼルスと契約したのは「2017年」
  • MLB1年目での初ホーマーは日本人選手として「17人目」
  • 大谷翔平選手はイチロー選手以来「17年ぶり」に日本人選手として新人王を獲得
  • 松井秀喜選手以来、日本人選手最多ホームランを打ったのは「17年ぶり」
  • 花巻東高校の先輩・菊池雄星選手とMLBでの初対戦した日は「7月17日」
  • 大谷翔平選手とMLBで初対戦した菊池雄星選手は「17試合目」
  • 大谷翔平選手の名前「翔平」の画数は「17画」
  • 「大谷翔平の日」となった「5月17日」、実は父親である徹さんの誕生日!

「大谷翔平の日」に制定された5月17日が父・徹さんの誕生日だったのですね。当日の試合で放ったホームランは最高の誕生日プレゼントとなったのではないでしょうか!

「大谷翔平の日」に世間の声は?

「大谷翔平の日」の制定に世間も驚きの声を隠せませんね。

まとめ

以上が、大谷翔平選手の背番号「17」番に関する話や「大谷翔平の日」について詳しく解説してきました。最後に簡単にまとめたいと思います。

  • 5月17日が「大谷翔平の日」になった理由は、5月がアジア系米国人らの功績を称える月間で、17日は大谷翔平選手の背番号
  • 大谷翔平選手は背番号「17」番に特に深い意味はないとコメントしている
  • 花巻東高校では出世番号として期待の新人に「17」番を与える

アメリカで日本人である大谷翔平選手が「記念日」に制定されるなんて想像もつきませんね。

まだまだ現役でバリバリ活躍されている大谷選手ですが、間違いなく記録にも記憶にも残る名選手になることは間違いないですね。