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古城大翔の父・古城茂幸さんのプロフィール
画像引用元:週刊ベースボールONLINE
- 名前:古城茂幸(ふるき しげゆき)
- 生年月日:1976年1月12日
- 年齢:48歳(2024年5月23日現在)
- 出身:千葉県柏市
- 身長:174cm
- 体重:77kg
- 利き腕:右投左打
- ポジション:内野手
古城茂幸さんの経歴
日本ハムファイターズ、読売ジャイアンツと2球団で野球生活を送った古城茂幸さんの経歴を見てみたいと思います。学生時代(中央学院高校、国士館大学)
巨人ファンだった父親と子供の頃からキャッチボールや野球の練習をしていた古城茂幸さんですが、小学校では体操や陸上に熱中。 このころからかなり運動神経が良かったようです。内野の全ポジションをこなすユーティリティー性が武器だった古城茂幸さんのセンスの良さはこの頃から発揮されていたんですね。 中学校でも体操部への入部を希望していたようですが、入学した年に体操部が廃止になったことから、野球部に入部をしたそうです。 中学で野球部に所属はしていましたが、本格的に野球を始めたのは高校に入ってからだそうです。 中央学院高校では3年生の時に夏の件退会準決勝進出を果たすも惜敗して甲子園出場はなりませんでした。 国士舘大学に進学すると、東都大学野球連盟2部リーグで3度の打率3割を記録し、50m5秒91の俊足を生かし通算35盗塁を記録する活躍を見せ、1997年のドラフト会議で日本ハムファイターズから5位指名を受けました。 国士館大学に所属している時には、同学年に現花巻被害高校の佐々木洋監督がいました。 息子の古城大翔さんが花巻東高校に進学したのも父・古城茂幸さんと佐々木監督との縁がきっかけのようですね。日本ハムファイターズ時代(1998年~2005年)
画像引用元:Killy
日本ハムファイターズからドラフト5位指名を受け入団した古城茂幸さんですが、プロ入り1年感は二軍生活だったそうです。 公式戦初出場は1999年4月7日の西武ライオンズ戦で、同年4月29日の当時の福岡ダイエーホークス戦で初安打を記録しています。 打撃の方ではあまり評価が高くなかった古城茂幸さんですが、運動神経の良い卓越した守備には定評があり、「掃除機」の異名を持ち、守備固めとして起用されていました。 2026年のシーズン開幕前に巨人の岡島秀樹さんとの交換トレードで読売ジャイアンツに移籍することとなりました。 【日本ハムファイターズ8年間の通算成績】- 出場試合数:277試合
- 安打数:74安打
- 本塁打数:1本
- 打率:2割0分1厘
- 盗塁数:14盗塁
読売ジャイアンツ時代(2006年~2013年)
画像引用元:スポニチSponichi Annex
移籍先の巨人でも守備に定評があり、三遊間のキーマンとして活躍しました。 当時の巨人軍は守備に不安が多い選手が多かったために、守備力に定評があった古城茂幸さんは期待される存在となり、日本ハムファイターズ時代よりも出場機会が増えました。 2007年には内野4ポジション全てを守り、年間無失策と好成績を残しました。 2008年にも内野4ポジション全ても守るなど、内野のユーティリティープレイヤーとして活躍し、出場機会はプロ入り後最多試合出場数となりました。 2013年は怪我のため年間わずか3試合の出場となり、最後の出場試合は同年8月6日で、10月2日に引退を表明、翌日の10月3日に東京ドームでヤクルトすわーローズ戦の試合前に引退セレモニーが行われました。 【読売ジャイアンツ8年間の通算成績】- 出場試合数:490試合
- 安打数:190安打
- 本塁打数:8本
- 打率:2割3分5厘
- 盗塁数:23盗塁
- 出場試合数:767試合
- 安打数:264安打
- 本塁打数:9本
- 打率:2割2分5厘
- 盗塁数:37盗塁
引退後のコーチ経歴
画像引用元:AERAdot.
古城茂幸さんは読売ジャイアンツを引退後、スカウトを経験し、読売ジャイアンツのコーチを務めています。- 2018年:読売ジャイアンツのスカウトに就任
- 2019年:読売ジャイアンツのファーム打撃守備コーチに就任
- 2020年:読売ジャイアンツの一軍内野守備走塁コーチ
- 2021年:読売ジャイアンツ二軍野手総合コーチ
- 2022年:読売ジャイアンツ二軍内野守備走塁コーチ
- 2023年:読売ジャイアンツ三軍打撃コーチ
古城茂幸さんはどんな選手だった?
打者としての評価はそこまで高くはなかったものの大事なところでの勝負強い打撃と、俊足、内野の全ポジションを守れるというユーティリティープレーヤーとして活躍した古城茂幸さん。 「振り向けば古城」と呼ばれるほど華麗な守備が武器で、明るい人柄で同僚からも人望が厚かったようです。プロ野球生活16年間一度もギュラーなれなかった男
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「古城のアホ走塁」とは?
古城(フルキ)を「コジョウ」と読み間違えるぐらいですから決して認知度が高い選手ではなかった古城茂幸さんですが、「2007年クライマックスでのアホ走塁」で、「あぁ~、あの時の!」と思いだす人もいるのではないかと思います。 この動画は「“動画再生回数260万超えの「古城のアホ走塁」”」として紹介されており、現在では270万再生回数まで増えています。 当時巨人軍の監督だった原辰徳さんも古城茂幸さんの事を次のように話しています。彼はどっちかというとチョンボの印象が強い(笑)。意外なすごいこともやるけど、大事な場面でチョンボもやらかす。2007年クライマックスの最終戦、代走で出て行って飛び出してゲッツーは信じられないよね(笑)。“なんのために出ていったのよ”って話。『意外性』と言えば聞こえはいい。きれいに言うと『個性的』だけど、悪く言えば『やらかしちゃう』(笑)。でも面白い選手だった。 引用:excite.ニュースこの原辰徳さんのコメントを見ても、古城茂幸さんのキャラクターや選手や監督からも愛されていたのがすごく伝わりますね。
やさしい性格の古城茂幸さん
国士舘大学で同期だった花巻東高校の佐々木洋監督は古城茂幸さんについて、すごく優しくいい人だと語っています。「最初に優しくしてくれたのが、古城の父親でした。すごくいい人間でしたね。ホームシックになりかけてる時に、よく助けてもらった。人が良くてね。よく話しかけてくれた。いい選手なのに、高飛車になることもない。偉そうにしないんですよ」と当時を懐かしんだ。 引用:スポーツ報知2人の交友は卒業後も続いており、今回息子の古城大翔選手が花巻東高校へ進学した時にも佐々木洋監督は「信頼してくれてうれしかった」と話しています。 古城大翔選手も父親譲りの優しい性格のようですね!
異例のジャイアンツでの胴上げは合計6回
本のタイトルにもなっていますが、通常選手が引退した時に胴上げをされるのはレギュラークラスの選手ですよね? 守備に定評があり活躍したとはいえ、レギュラーのポジションを掴むことができなかった古城茂幸さんが引退セレモニーの後、胴上げをされたのはなぜでしょうか? 今までの流れでもうお分かりだとは思いますが、古城茂幸さんは本当に人として素晴らしい人で、レギュラーこそ掴めませんでしたが、チームになくてはならない存在だったんですね。 ご本人が自分の事を「たした選手ではなかった」と謙遜されていますが、チームが本当に困っている時に必要とされた選手で、「振り向けば、古城」とまで言われるぐらいに頼りにされた存在で、チームのムードメーカでもあったからこそ、引退の時に他の選手が胴上げをしてあげたいと思ったのでしょう! 全ては古城茂幸さんの人徳ですね!古城大翔選手の家族構成は?
古城大翔選手の家族構成は次の通りです。名門・花巻東の4番を1年生にして早くも任され、大谷翔平も着けた背番号17でデビューを飾った怪物・古城大翔(1年)。父に巨人打撃コーチを務める茂幸氏を持ち、既に身長181㎝体重83㎏と父以上の体格を誇る。抜群の長打力で早くも実力で4番サードを掴み、夢と語る巨人第92代4番への物語が幕を開ける! pic.twitter.com/buqNV1AMAJ
— 富山の高校野球 (@nozomilabu) May 9, 2024
- 父親:古城茂幸(元プロ野球選手)
- 母親:古城紹瑛(2001年頃に結婚)
- 長男:不明
- 次男:古城大翔(花巻東高校)